開催によせて


人間存在の極限に



作家 石牟礼道子


 あれからどれくらい経ちましたでしょうか。

 初めて患者さんにお会いしたときから、私はもう本当に魅せられてしまいまして、なるべく同じ共同体の中にいるようにしてまいりました。あの方たちのお心の、そのほんの一端を少しわかりかけてきたという気もしまして、いろいろ書いてまいりましたが、満身創痍で東京に駆けのぼった川本輝夫さんも、田上義春さんや杉本栄子さんも亡くなられてしまった。しかし、ここで何があったか、どんなむごいことがあったか。あの会社や国がどんな仕打ちをしたのか、患者さんたちがどんなに健気に立ち向かって行かれたか、ここには人間存在の極限がひらかれておりました。

 最近、新たに何万人の患者が出てきたと言われておりますけど、この方たちもずっと以前から病んでおられた。ただご自身のことには目をつぶってこられたんです。もっと重いご両親やご兄弟のお世話をしてこられた方がたくさんいらっしゃる。ですから、まだまだ語られていないことがたくさん埋もれているのですが、私もこのように(文字を)書くのも、なかなか大変になってしまいましたし、原田正純先生も、記録映画の土本典昭さんも、公害研究の宇井純さんももういらっしゃいません。

 しかし、「水俣展がある」と思うのです。あそこに行けば、患者さんたちに会っていただけると。「死ぬに死ねない」とおっしゃっていた方ばかりですから、ご遺影となられても一人一人の方にお話いただける。この世とは、人間とは何か。患者さんたちの遺言です。

 心を澄ましてお聞きとり下さる方が、まだまだたくさんおいでになると私は思っているのですが。

(談)